カッパドキア(短編小説 岩窟の村跋文)
穴居人たちがカッパドキアに暮らしていた。穴居人などと呼べば如何にも非文明的な響きだが、今やカッパドキアの穴居生活はインフラが整備されて現代的なモダン・ライフである。
カッパドキアは砂岩の織りなす地形で、長い年月をかけて風が岩を削り奇岩が目立つ。
人びとは砂岩を削りながら街を作った。街は蟻の巣のように地下へと広がり、地下都市カイマクルには2万人の人々が地下都市に暮らしていたという。
カッパドキアに行きたい。
幻燈紀行「岩窟の村」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/ncd8e74c22802
人を愛するということ(愛を与ふるロボット跋文)
僕には人を愛するという感覚が欠落している、気がする。
他人に興味がない、とも言える。
その癖、自分は愛されたいと願っている。
愛というものは恐らく相互のものなので、多少なりとも人を愛することをしなければ、自分が愛される筈もないので、この性格には難儀している。
「愛を与ふるロボット」という作品の中で、愛が欲しい科学者という人物が登場するが、彼が欲している愛は亡き妻からの愛であり、ロボットから得られるものではない。
科学者はいずれロボットを憎悪するだろう。
ロボットがそれに気付いたとき、彼女は自ら作動を止めたのである。
科学者が死んで彼女は再び動き出した。これは愛を与える、という任務をこなすためである。しかし、科学者は死んでいるから命令自体が無効化している。
にも関わらず 愛することを全うしようということは彼女の自由意思であり、それこそ愛以外の何物でもない。
彼女は機械にして無償の愛を為したわけである。
多かれ少なかれ人は自らの損得を省みない愛の無償性を有するように思われる。
情が深い、とか母性本能とか、そういう言葉が近い気がする。
そういう情動は美しい。
僕にはそういうものが欠けている、気がする。そんな葛藤を抱えて生きているので、僕の作品には自己犠牲とか無償の愛とか、もしくはそのアンチテーゼである孤独とかそんな類のものが必然と多い。
読者諸兄の愛の形は如何なるものだろうか?
諸兄が良い愛に巡り合うことをお祈り申し上げる次第である。
絵のない絵本「愛を与ふるロボット」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n85b88287e3c4
死者との邂逅(夜のプールと古代生物 跋文)
死んだ祖父に会った時、思ったよりも活き活きしていて僕は「なんだ」と間の抜けた感想を持った。「なんだ」が何を意味するのか、世の中のモラルに照らし合わせて説明できる自信がないので詳細は割愛する。
ともあれ病院で死亡診断の済んだ死体に僕は面会したのだ。10年も昔のことである。
「死んでいても良いから会いたい」という感傷を理解したのもそのときであった。尤も「会いたい」という程、強い気持ちではない。生前と同じく、「そちらが会いたいなら会っても良い」くらいが正しい。
時間とともにこの気持ちは少しだけ変化して今は「少しなら会いたい」に変わった。
恋人が死んだ時なら尚更であろう。
冥界に死んだ恋人に会いに行くのはオルフェの物語、それにイザナミイザナギの物語。
古来より受け継がれた正直でロマンチックな願望なのだろう。
短編小説「夜のプールと古代生物」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n90580fbc412b
真夜中の古代生物(博物館にて 跋文)
薄暗い博物館にライティングされた古代生物の骨格標本に僕はわくわくとした興奮を禁じ得ない。
子供の頃の冒険心を思い出しているのかもしれない。
小さな頃は毎日が冒険だった。
知らない道を歩き、知らない場所へたどり着き人先未踏の秘境を踏破したことのマーキングをした。
博物館もしかり。
薄暗い博物館の大きな階段の下は鯉を泳がせるための石畳の水槽になっていて、子供であった僕はその水槽に鯉以上の大物が隠れて住んでいるに違いないと確信していた。
それはきっとプロトケラトプスのような子熊のように小さな恐竜たちで夜になると水槽に水を飲みにくるに違いない。
きっと今は物陰に潜んで夜を待っているのだろう。
それが僕が子供の頃に暮らしていた世界である。
僕は大人になって幻想の国を出国して経済の世界で暮らしているが、ふとした時に子供の頃に暮らした故郷を思い出す。そんなときに僕は古代生物の図鑑を開いてお気に入りの恐竜に付箋を貼るのだ。
短編小説「博物館にて」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n5d8d80c41b30
絵のない絵本「魚の化物」跋文
テーマは相互扶助です。
年を取った登場人物たちが助け合いながらそれぞれの持ち分を活かし英雄に変わっていきます。活躍できるできないは時の運。次の機会には大活躍するかもしれませんよ。
絵のない絵本「魚の化物」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n80a036e11502
俳句日記「北風」跋文
俳句日記です。北風と牡蠣の2句。
「北風に背中丸めて堀端」
堀端は風が吹き抜けるので余計に寒いのです。今日は寒かった…。
俳句日記 北風|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n244fe6a26165
絵のない絵本「スイート・ホーム」跋文
絵がなくても絵が見える
絵がなくても絵が見えるような作品を目指しましたが如何でしょうか?
ちなみに心の中で思い描いたイラストタッチはアルゼンチンの絵本作家イソラさんです。
絵が描ける人、
音楽ができる人、
才能がある人って良いですねえ。
私は絵が描けないので
絵がない絵本しか書けません。
絵のない絵本「スイートホーム」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/nfe8e821558be