ムラサキの文学日記

短編小説、現代詩、俳句、短歌、随筆

褒めるテクニック

日本の皆さんコンニチハ。

現代詩人(笑)の村崎です。

年度末って忙しいですねえ。

皆様、お疲れ様でございます。

 

さて、私はといえば

「褒めること」をテーマに掌編小説を書こうと思っておりましたが、スランプの真っ最中で一向に形になりません。

 

小説にすることは一先ず諦めて、創作メモとして褒めるテクニックについて思うままに書き記します。

 

以下です。

メモなので論理が随所で飛躍していますが、至らぬ点はご容赦願います。

 

ムラサキ

*************

 
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「何故褒めるのか」

チームにミスが続発する。これはコミュニケーションが不足しており、情報共有が出来ていないことが原因の場合が多い。野球で(よく知らないけど)センターとライトがお互いに「相手が捕球するだろう」とフライをお見合いする状態である。「オーライアウッアー(私が捕ります)」「アウッサー(お願いします)」と声を掛け合うことがコミュニケーションだ。

コミュケーションが不足する理由は単純である。仲が悪いから。仲が悪くて必要以上に喋ろうとしないのでコミュケーションが不足する。

 

語弊が生じるかもしれないが、必要最低限のコミュニケーション「だけ」を行うことは難しい。雑談、世間話、無駄話の延長上にふと現れる「そういえば」の中に必要な情報は存在する。言葉を少なくして端的にすべてを語れるほど我々は有能ではない。不必要と思われる情報の蓄積に真実が隠されていることもある。従って必要最低限の事務連絡では情報の共有は足りないのである。

 

仲の悪さはチームの作業効率にも影響する。仲の良くない人間のために積極的に働こうとする者はないからだ。

場合によっては足を引っ張ろうとすることもあるかもしれない。

それで成績が落ちていることもある。

失敗を誘発していることもある。

嫌いな人間が失敗するのは嬉しい、という負のスパイラルに陥ってしまう。

つまり些か極論ではあるがチーム力向上のためには「仲の良さ」が不可欠である。

そしてそれを作るために有効なのが(更に極論ではあるが)「褒めること」。

褒められて嬉しくない人間は(あまり)いない。褒められれば(多分)好きになる。好きな人のためには(人によるが)協力を惜しまない。

褒め言葉はチームの活性剤、人間関係の潤滑油。そしてチームの病巣を癒やす治療薬である。

 

例えば「悪い人」がいる。

性格が悪い。心根が良くない。

意地悪だ。

陰湿だ。

配慮や思いやりに欠ける。

 

 だが、考えて見よう。

 

悪い人であったとしても、彼の人は知人や友人には優しい。特に夜のお店のお嬢さんを口説いている時には別人である。頼り甲斐もあるかもしれない。男気を見せることもあるだろう。

つまり仲が悪いから悪い人なのであって、仲が良ければ誰だっていい人なのだ。

逆にどんなにいい人でも仲が最悪に悪ければ泣く子も黙る極悪人に変わる。

 

人間の行動原理は「快、不快」が大きく左右する。

一緒にいて気持ちよくなれる人は好かれる。つまり褒め上手は好かれる。

好き合うチームは強い。

褒め合うチームは強い。 

 

褒めねばならぬ。

今日にも誰かを褒めねばならぬ。

今すぐ誰かを褒めねばならぬ。

 

「褒めるテクニック」

1、極意は褒めないことにあり

 

褒め上手は褒めない。

 

突然のパラドクスで恐縮だが、あからさまな褒め言葉はわざとらしくて嫌われる。何か魂胆があるのではないかと警戒される。直接的な褒め言葉を伝えたいのであれば、入念な準備が必要である。

相手を褒めて友好な人間関係を作り、組織の活性化を図ることが目的である。

警戒されては目的に合致しない。

 

だから褒め上手は褒めずに褒める。

 

人間好きなものを前にすると目の輝きが変わる。瞳孔が開いて瞳の色が深くなる。

出会ったときに喜色を浮かべること、これだけで好意は伝わる。あなたに会えて嬉しい、あなたは素晴らしいということをボディランゲージで示すわけだ。これは言葉によらない褒め言葉とも云える。

 

2、それとなく褒めること

前述したように褒め言葉が追従とならないために、褒め言葉は控えめに発せねばならない。

 

感嘆する。これもまた褒め上手の妙手である。

 

例えばある人が絵を描いた。

それを観た客が一言唸って帰った。

それを見た別の人が失礼極まる所作であると怒ったが、そのある人が答えて言った。

本当に良きものを見ると人は言葉を失う。言葉をなくすことが最大の賛辞である。

 

直接褒めない褒め方もあるのだ。

 

また心のうちに現れる感嘆の言葉をぽつりと呟く。作品を見て「あはれものの見事なり…」などと独り言を呟く。

 

直接言われる言葉は嘘かもしれないと訝しがるが、独り言で嘘を付くはずはない、この思い込みを利用した技である。

 

 

3、人を介すること

面と向かって言われる言葉を人は疑う。嘘かもしれないと思う。

しかし人づての言葉は良いことも悪かりしことも疑うことはできない。

話を追うことに集中し、その人が如何にほの言葉を宣っているのか想像することに力を要する。だから真偽を疑う猶予がない。

つい盲信する。

 

従って其の人のいない所では大いに褒めるべきである。いづれ彼の人に伝わり、絶大な褒め言葉として開花する。

 

さる御仁が優れた思想家を探していた。優れた人は見つかったが、誰かに召し抱えられる気がない。御仁は彼の人を招いて食事をとらせた。世間話が精々で彼の人をおだてることもなく、何を考えているか分からぬまま黙々として散会となった。むしろ御仁は不機嫌に見えた。ろくな挨拶もないまま客人は帰途についた。

だが客人が帰った後、御仁は大いに客人を讃えた。これが客人の耳に届き、御仁の態度を気にしていた彼の人はいたく喜んだ。そこまで私を理解してくれる方なら、と彼の人は遂に御仁に召し抱えられることになった。

 

4、さり気なく褒める

挨拶を交わすような間柄となれば、直接褒めても良いだろう。しかし大いに褒めると訝しがられるので、さり気なく褒めることに努めるのが良い。

外見は人により良し悪しが分かれ、本人もよく気にする事柄なので、外見に関わることは余程仲良くならない限りしないほうが良い。

 

例話を上げる。

相撲取りの外見を褒めようとした時に

「重そうですね」

「太ってますね」

が褒め言葉になろうかと思うが、

それは本人にとってコンプレックスかもしれない。大きなお腹が小さくならないものかと日夜鏡を見てため息をついているかもしれない。つまり迂闊に外見は褒められないのだ。

 

本人が良し悪しを気にせぬ所を褒めるべきである。

ある人が洋装の釦の色を褒められた。それまで釦の色を気に留めることなどなかったが、褒められて気恥ずかしくも嬉しいものであった。

またある人が指のかたちを褒められた。誰に褒められたのかはすぐに忘れてしまったが、指を褒められた記憶だけは残り生涯の語り草になったという。

さり気ない褒め方は心に残るのである。

 

 5、当人が好きなものを褒める

誰しも好きなものの一つ二つはある。そして誰しもそれを大いに喧伝したいと考えるものである。

当人の好きなものを褒めることもまた良いことである。

自分のことを褒められる以上に嬉しい。

 

さる政治家が政敵と会食をすることになった。政敵である故に全く話が弾まない。

最後に政敵が話題に困ったのか、政治家の息子を少しだけ褒めた。子煩悩であった政治家は大いに喜び、後日に政敵であることを解消し合従を決意した。

 

以上は褒めずに褒めることの基本技である。

直接褒めるということは、これより上位の技術であるから褒めベタは、上述のことをよくよく心得るべし。

 

以上をまとめてそのうち小説を…。

まとまるかなあ…。

 

おやすみなさいませ。

m(__)m