私性と俳句(俳句日記「初詣」跋文)
「初詣 僕たちは同じものを見ている」
「私」が詠まれる俳句はあまりないように思われる。
(冷たい)などの感覚や(うれし)などの感情は詠まれる。
だが、私や僕など一人称を使う俳句はない。
俳句の視点がそもそも「私」を中心に展開しているからで、それは「私」が「私」自身を見つめることができないからであると言える。
そう言った意味合いも含めて俳句はカメラ的である。
「私」がファインダーを通して見る写実の中に情緒がある。
ところが写真のあり様が変わってきた。ファインダーを通して「私」がいる。自撮りと呼ばれる。
ならば逆説的に「私」を取り扱う俳句が増えても良いわけで、俳壇からは縁遠いとは思われるがそのような風潮が現代的であると言える。
俳句日記 初詣|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n81eebf05b9a9