ムラサキの文学日記

短編小説、現代詩、俳句、短歌、随筆

名前のない死体たち(現代詩「ジョン・ドウ・スタア」跋文)

生きる死体。

は生きているのか。

 

最近は本当に死体が元気な場合がある。ジョージ・A・ロメロ監督(2017年他界)のゾンビシリーズだ。若い人にはテレビドラマのウォーキング・デッドの方がお馴染みか。

(ゾンビ)という存在が時々社会現象となるのは、我々の社会が定期的に自動律において不安を覚えるからであろうと、私には思われる。

(ゾンビ)は人間であって人間でない。だが、本当に人間でないかと言うと究極的に人間である。

 

(本家本元のゾンビはタヒチ島ブードゥー教の司祭が作り出す催眠人間のことであるが、これは薬物で催眠されているだけなので本当に生きている。)

 

我々が人間性を喪失して、つまり死んで、尚残る人間性への希求が(ゾンビ)であってそこに我々は人間に対する希望を見出したいのだ。

ゾンビ映画に登場するゾンビは共食いとも言うべきカニバリズム嗜癖を有するが、これは絶望を表出するための単なる恐怖映画的な装置であって、本質は愛である。

 

愛である。

 

等と言うと、さっぱり意味が分からないだろうから、申し加えるが

本来愛し合うべき人類同士が殺し合ってきたのが人類の歴史で、つまる所、戦争の歴史である。

何故、人類は殺し合うのか。

何故、人類は筆舌に尽くし難い残虐行為を行うことができるのか。

果たして人類の性は悪であるのか。

この性悪の部分がゾンビとなった死体たちによる残虐性である。

ゾンビとなった母親は子供の頭を齧るわけであるが、これは人類同士、時には同じ民族同士殺し合ってきた歴史の暗喩である。

が、人類の歴史はそればかりではない。

 

ゾンビについて語り出すと長くなるので、以降割愛。

 

 

ともあれ、ゾンビ映画は人間の性善説への希望なのである。

 

と、前置いた所で本文の主題は全く異なる所にある。これまで書き連ねた駄文については本文に関係ないのでご容赦願いたい。

 

精彩を欠いた人を「生きる死体」と直喩する。

勿論、その人は生きており、死んでいない。ソンビの話が長かったので、読者様は解釈に混乱を来しているかもしれない。ゾンビの話は忘れて欲しい。

 

例えば、私。

は、世界経済に何一つ影響がない俗人な訳であるが、このような状態を「生きる死体」などと呼ぶ。つまり私は医学的に生きているか死んでいるかを問わず「死体」だ。

 

そして私は世界経済的に名前がない。

世界経済を一つの人体に喩えるなら、私はどこかの器官の一細胞であって毎日、呼吸と発熱を繰り返している。

出来うるなら指先の皮膚細胞とか、そんな些末な細胞であるといい。気楽だし。内臓系は酷使されてる気がするから嫌だ。なんかネバネバしてるし。

 

話が逸脱した。

人体を統括する意識は、細胞の生死については自覚がないので私という一細胞がいつ生まれていつ死んだのかということに無知である。

 

ということで、超訳的に、或いは詩的に解釈して私は「名前のない死体」である。

(読者様はこのような詩人的な発想の飛躍を温かい目でお見守り下さい。)

 

ところが今や実は世界を牽引するのはこのような「名前のない死体」たちである。

名前のない死体たちは日々情報を世界に対して発信し続ける。

 

この名前のない死体たちのツイートに世界経済は翻弄される。

「#me too」 

で拡散される弱者多数の意志は奔流となって世界経済の大河を遡る。一人の発信が集団となり無視できない勢力となるのだ。

「me too」はハリウッド映画界に蔓延するセクシャルハラスメント被害への同調運動であるが、今後はどのような問題も同様に拡散されていくだろう、

権力がメディアを統制しても、このツイート、リツイートの電気的な速度には追い付けない。電波は瞬く間に拡散する。

 

世界経済の首脳たちにとっては全くイレギュラーとも言うべき、この叛乱の火種は世界人口の誰もが持ち得る。つまり叛乱の火種は世界人口の数だけ散乱している。

 

 名前のない死体たちによる革命の時代。

「革命」ついては賛否両論があるだろう。アンチキリストによるデマゴーグかもしれない。

だが、この賛否両論すら収束しない。

#me tooとそれを応援する人たち。

それに反対する人たちと国家権力。

応援することは必ずしも同一ではない。

反対することが必ずしも体制ではない。

四者は全く異なる立場なのだ。

 

アメリカで身元不明の死体のことを「ジョン・ドウ(John Doe)」と呼ぶ。

女性なら「ジェーン・ドウ(Jane Doe)」。

 日本で言うところの「名無しの権兵衛」である。これは連邦司法制度にも使われていて匿名の原告を「John Doe」匿名の被告は「Richard Roe」などのように使われる。

 

来る。賛否も生死も定かでない混沌とした時代が。名無しの死体即ちジョン・ドウたちが救世主のように世界を牽引する時代が。

来る。

 

そんな詩を書いたことの後序に代えて。

 

 詩の本編はこちら。

現代詩「ジョン・ドウ・スタア」|ムラサキ|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/nebda 

 

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長らく三部作であった「ゾンビシリーズ」は後年、三部が追加され六部作になった。ゾンビが怖い。という映画ではない。ゾンビと人間の戦争である。人間は近代兵器を以てゾンビに抗う。それは時に大航海時代に南米を鉄砲で蹂躙したスペイン人フランシスコ・ピサロに似ている。