ムラサキの文学日記

短編小説、現代詩、俳句、短歌、随筆

現代詩入門


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現代詩入門「現代詩ってなんですか?」

 

  1.  詩と現代詩
  2. 形骸からの脱却と現代芸術
  3. 現代詩とは
  4. 吉本隆明「ぼくが罪を忘れないうちに」
  5. おわりに

 

1.「詩と現代詩」

先日「現代詩」とはなんですか、とご質問を頂きました。

 

他にも「詩」と「現代詩」は違いますか?

という質問もよく受けます。

 

結論から言えば違いません。

 

現在、一般的に「詩」と呼べば現代詩をさしていると思います。

ただ本来「詩」という言葉は広いのです。

俳句や短歌も広義には詩です。

国語の授業では漢詩も習います。

かと言えば高村光太郎梶井基次郎などの書くいわゆる昔(近代)の「詩」も当然、詩です。

 

「現代詩」は戦後に於いて「現代」が幕開け、詩人たちが「形骸からの脱却」を追求して生まれたものです。

 

 

2. 「形骸からの脱却と現代芸術」

「形骸からの脱却」は20世紀芸術の共通項で、各方面の芸術家が破天荒とも言える作品を次々と生み出しました。

 

例えばマルセル・デュシャンの作品「泉」は単なる男子用の小便器です。それに「泉」とタイトルを付けたことにより、小便器はもっと深遠な意味を持つ芸術作品となりました。

 

他にはジョン・ケージの「4分㉝33秒」も有名です。これは4分33秒の間、ひたすら無音が流れるという作品です。

 

絵画や彫刻はこのようにあるべき、音楽はこのようにあるべきという我々の固定観念を揺さぶるわけです。それらの固定観念を解体して、新たなものを作り出そうという試みが「現代的」と呼ばれたのです。

デュシャンの例で言えば小便器は芸術作品ではありせん。しかし小便器を芸術作品と捉えて向き合う自分の心に思索が生まれます。思索の生まれた心が芸術なのです。現代アートは芸術品そのものではなく心の内面に芸術を喚起させることに特徴があります。

 

これらの動きの根源的な動機は「人間とは何か、我々とは何か」という実存的な問いかけに端を発しています。20世紀初頭はサルトルなどの実存哲学が興隆した時代でもありました。

 

現代アートが試みた固定観念の解体は情動の解体でもあります。

情動は人間そのものです。つまり我々自身をバラバラにして、最後に残った物、即ち我々自身の正体を知りたいのです。

我々は善なのか悪なのか、善でも悪でもなければ何なのか。機能なのか、偶然なのか、神意なのか、不条理なのか、実存なのかと問うのです。

 

ですから「現代」と冠された芸術は多分に思想的です。

「芸術」と聞くと難しそうなイメージがありますが、これは現代芸術が思想に偏ったことの功罪です。

それ以前の芸術はなんら思想とは関わりなく大衆的なものでした。

 

3.「現代詩とは」

現代詩も同じく、思想的です。

近代詩と現代詩を敢えて分けるとするならば、この思想の所在にあるかと思います。国家とは何か、社会とは何か、人間とは何者か、この問いのもとに作られた詩が現代詩と呼べるのではないでしょうか。

それ以前の近代詩は内容はどちらかと言えば道徳的で教育的であることが求められていたように思われます。集団主義的な倫理統制が働いていたのかもしれません。

しかし現代詩は旧態依然とした倫理の殻を大きく破ろうとする傾向がありますので、暴力的な表現を多く見ることも特徴の一つです。

 

形式から現代詩を捉えれば、現代詩もまた他の現代アートと同じく自らを解体しました。

詩は本来定型的なものです。

詩は定形の中でルールに縛られて自己表現をする遊知的な遊びです。

近代詩も「連」と呼ばれる塊からなり、連と連は似たような言葉使いや押韻が用いられ相応の関係にあります。

現代詩はこのような定形性はありません。ルールも特にありません。

場合によっては文字である必要もありません。

それこそ白紙の紙にタイトルをつければ現代詩となり得ます。

自由な言葉。これが現代詩です。

 

 

 4.「吉本隆明『ぼくが罪を忘れないうちに』」

しかし、このように現代詩の説明を重ねても実例に触れなければ、理解は難しいと思います。

ということで

現代詩の代表作の一つを

掲載します。

 

 

 

 ぼくが罪を忘れないうちに

 吉本隆明(1954.7)

 

 

ぼくはかきとめておこう 世界が
毒をのんで苦もんしている季節に
ぼくが犯した罪のことを ふつうよりも
すこしやさしく きみが
ぼくを非難できるような 言葉で
ぼくは軒端に巣をつくろうとした
ぼくの小鳥を傷つけた
失愛におののいて 少女の
婚礼の日の約束をすてた
それから 少量の発作がきて
世界はふかい海の底のようにみえた
おお そこまでは馬鹿げた
きのうの思い出だ
それから さきが罪だ
ぼくは ぼくの屈辱を
同胞の屈辱にむすびつけた
ぼくは ぼくの冷酷なこころに
論理を与えた 論理は
ひとりでにうちからそとへ
とびたつものだ
無数のぼくの敵よ ぼくの苛酷な
論理にくみふせられないように
きみの富を きみの
名誉を きみの狡猾な
子分と やさしい妻や娘を そうして
きみの支配する秩序をまもるがいい
きみの春のあいだに
ぼくの春はかき消え
ひょっとすると 植物のような
廃疾が ぼくにとどめを刺すかもしれない
ぼくが罪を忘れないうちに ぼくの

すべてのたたかいは おわるかもしれない

 

 

吉本隆明は評論家、哲学者にして詩人。小説家の吉本ばななのお父さんです。

この詩が作られたのは1954年と既に60年を経過しています。

しかしその言葉は今も攻撃的で挑発的です。

暗喩を用いながら僕は君たちが嫌いだ、と直言して我々の心を揺さぶります。

思想家であった彼の哲学に呼応して世の中を変革していこうとする同胞に対して、彼の思想が彼の手元を離れて独り歩きしていくことに対して、吉本隆明の躊躇を感じます。

彼の唱えた思想は世間一般の考える幸福と少しズレていたからです。もしかしたら彼の思想に共鳴して、自ら幸福を手放してしまった人間がいるかもしれません。彼は自分の信念に疑いはありませんが、他者の個人的な幸福に責任は持てないのです。

吉本隆明は2012年に鬼籍の人となりましたが揺れ動く真情と言葉の力は未だに失われていません。

 

5.「おわりに」

如何だったでしょうか?

私の拙い言葉でも現代詩について、少しは伝えられたでしょうか。

現代詩についてはネット上でも色々な方が解説をしています。

もしご興味がある方がいらしたら参考になさって下さい。

 

「現代詩 初心者にオススメの詩集五選」

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/1971

 

「現代詩の入門にオススメの詩集」

https://honto.jp/booktree/detail_00000460.html 

 

 もし私の誤解があるようなら訂正致しますので、お詳しい方がいましたら、何なりとご指摘下さい。

 

あと私の書いた詩をまとめています。宜しければご笑覧下さい。随時更新しています。

 

村崎懐炉現代詩集|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/m/m2dcc3171ac6e