ムラサキの文学日記

短編小説、現代詩、俳句、短歌、随筆

人を愛するということ(愛を与ふるロボット跋文)

僕には人を愛するという感覚が欠落している、気がする。

他人に興味がない、とも言える。

その癖、自分は愛されたいと願っている。

愛というものは恐らく相互のものなので、多少なりとも人を愛することをしなければ、自分が愛される筈もないので、この性格には難儀している。

 

「愛を与ふるロボット」という作品の中で、愛が欲しい科学者という人物が登場するが、彼が欲している愛は亡き妻からの愛であり、ロボットから得られるものではない。

科学者はいずれロボットを憎悪するだろう。

ロボットがそれに気付いたとき、彼女は自ら作動を止めたのである。

科学者が死んで彼女は再び動き出した。これは愛を与える、という任務をこなすためである。しかし、科学者は死んでいるから命令自体が無効化している。

にも関わらず 愛することを全うしようということは彼女の自由意思であり、それこそ愛以外の何物でもない。

彼女は機械にして無償の愛を為したわけである。

 

多かれ少なかれ人は自らの損得を省みない愛の無償性を有するように思われる。

情が深い、とか母性本能とか、そういう言葉が近い気がする。

そういう情動は美しい。

 

僕にはそういうものが欠けている、気がする。そんな葛藤を抱えて生きているので、僕の作品には自己犠牲とか無償の愛とか、もしくはそのアンチテーゼである孤独とかそんな類のものが必然と多い。

 

読者諸兄の愛の形は如何なるものだろうか?

諸兄が良い愛に巡り合うことをお祈り申し上げる次第である。

 

絵のない絵本「愛を与ふるロボット」|murasaki_kairo|note(ノート)https://note.mu/murasaki_kairo/n/n85b88287e3c4

 


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